今日の気持ち

笑ってはいけない。

私はもうずっと前に、この場所にもしっかり居場所を確保しておいたらしい。アカウント名、ユーザー名、パスワード、そして、ブログ名も完全に忘れていたが、それは「買いだおれ日記東京」とある。東京で買った物を、細々と載せていこうと思ったのだろう。しかし、それはたったの二回で終わっている。

自分はどうしたのだろうか。Twitterに夢中で忘れてしまったのだろうか。あ、いや、ブロガーで、ポエムを書くのに真剣になっていたのかもしれない。

SNSは、私には向かないから気をつけなさいと、現実で、現実の私をよく知る皆たちから言われた。悲しかった。悔しかった。誰かに相談する前に、本当に自分は脳みそに問題を抱えて産まれてきたにちがいないと思い、2時間かけてその検査を受けた。「奥の細道の作者は?」「江戸城を建てたのは?」などという質問から、私の知りたい、自分は神聖の察することの出来ない人かどうか、どういう仕組みでわかるのかはわからない。

でも、知りたいと思った。本気で思った。

現実の私の何も知らない人に「察することのできない人」と断言されてしまったのは、だいぶ堪えた。あれは、本当は「お調子に乗り過ぎな人」の間違いなのだが、一度、相手にそう思われてしまえば、こちらがいくら否定しても、さらに、察することのできない度を上げられてしまう。

インターネットはおそろしい場所だ。

馬鹿な私は、その意味を実際には理解していなかった。今は、やっとわかった。私には本来は向いていない。

でも、書くことで、心の綿ぼこりを、あのねずみ色したもやもやを吐き出せるので、だいぶ心が楽になるのだ。なので、ブログ等のSNSではないインターネットはやめたくない。誰のタイムラインも汚さないし、独り言くらい言わせてくれても、いいのではないか。たった1人の人間に、真っ正面から自分を否定されたからと言って、自分のすべてをやめる必要などあるのだろうか。自分を嫌いな人に自分をすり合わせて生きていくなんて、それこそ馬鹿なことであって、恥ずべきことではないかと思う。

自分にお願いがある。世の中のきれいなもの(人)、楽しいもの(人)、面白いもの(人)をまず受け取って欲しい。きたないもの(人)、意地悪なもの(人)、威張ってるもの(人)に、足を引っ張られないで欲しい。

否がこちらにあり、相手に迷惑をかけたなら、もちろん教えて欲しい。指摘、説明、お説教、もちろん聞く。ただ、こいつのこと、嫌いだから、わざと傷つけてやろう、みたいな部分はできるだけ排除するか、隠しておいてくのが粋というものではないだろうか。私はそういう部分には敏感で、すぐに見抜いてしまう。根が優しいか、根が冷たいか、残酷なほどにわかってしまう。

…いくら音楽の趣味がよくても、察することができても、根が優しくない人にしか、私には、価値は見出せない。

 

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