綿 in a stuffed brooch

おちょぼ口 

明日なんて永遠に来ないことにどこまで耐えられるかな

 彼と彼女の心の根底にある小川に、何が流れていたか、私は知っています。なぜなら、それは私の中にも流れているからです。色々な方法で、それを見ないようにしても、こういった夜など、逃げ切れないんですよね。

それを具体的に言うと「明日が来ないことへの絶望」だと、私は思っています。

彼の最後の歌は、まるで天国から響いてるみたいな音で、歌詞がもう、すべてを語ってしまっています。同じ話をずっとしている僕たち、いつもと同じ。ずっとずっといつもと同じ。だって、明日は来ないから。来た瞬間にそれは今日に変わってしまう。退屈ないつもの日。代わり映えのしない自分。でも、時計はカチコチと時を刻み、自分はどんどん大人という生き物になって行く。でも、別に昨日と違いなんかないじゃないですか。そりゃ、ものすごい絶望ですよ。

最後のツアーのタイトルは「男たちの別れ」でした。いやーな予感しましたよね。それは、柏原さんが脱退するという、ありえない大事件のことを差してるんだと思うようにしようとしましたが、なんかいやーな予感がしましたよね。

あの二つの夜、佐藤くんが着ていたジャケットは恋人のマリマリの紺ブレでした。あの痩せている彼女の服を着られるくらい、佐藤くん自身も痩せていました。あの時、私は確か19歳で、その時から、17年も経ってしまいました。そんなにずっとフィッシュマンズのライブを観てないんですよ。信じられない。

これ、音源も映像もどこにもないですけど、97年に下北のキューで、ファンクラブ限定ライブが開催されました。間近で観た、ウォーキンインザリズムの迫力がすご過ぎました。佐藤くんはへらへらしてる感じですけど、音楽にたいしては真面目すぎました。本気が半端なかったです。

ファン会誌で「自分たちの音楽をちょっと好きなファンが100人いるより、すっごく好きなファンが1人いる方がいい」って言っていました。

 

彼女には、私たち、弱まってる女たちが甘え過ぎてしまった気がします。ご自身もぎりぎりのところで闘ってたのではないかなと思います。だって、書かれるものが、佐藤くんのように、いっつも真面目で本気で真剣でした。目立ちたくて、ちやほやされたくて、ワイドショーのコメンテーターになるのがゴールと思っている、女性ブロガーたちとはまったく意識と気合いが違っていました。

死ぬまで、自分は自分にしかなれないということは、結構残酷です。どんなに努力して変わろうとしても、なれるものが、結局はちょっとお洒落した自分止まりだなんて、ある種の人たちには耐えられないくらいの辛いことです。

私もそのタイプです。最近はもう睡眠薬をココンポイポイコッコッタマ〜してしまうようになったり、飲めないお酒を、アイリッシュコーヒーで飲んだりするようになってきてしまいました。

レクサプロ、効いてねえ…

あの雪の土曜日、神保町。城戸真亜子のテーブルの喫茶店で、紅茶にはちみつと勘違いして、黄金色のリキュールを垂らして飲んだあとの、ぽわーんとした気持ちいい感じが忘れられません。