ダイアナはアンの腹心の友達

幼稚園からの知り合い、小5からの友達、小6からの親友の腹心の友ダイアナ(仮名)と、久しぶりに遊びました。

遊ぶといっても、彼女の黄色い自転車の荷台に乗って、公園から公園へはしごするわけではありません。ただ、喋るだけです。

いつ会っても、二人の間の空気は同じです。久しぶりに会っても昔の通りです。ただ、私たちは、好きな物がまったく違い、どんな固有名詞も共有していません。というか、知りません。私はダイアナの好きな世界、おおまかでは知ってますけど、私は興味はなく、具体的にどんなものにダイアナが今夢中になっているかは、いつも知りません。ダイアナも私がメタファイブが好きだとか、知りませんし、まずメタファイブを知らないと思います。

ダイアナが、以前「なんで私たちこんなに続いてるのかね?」と言いました。私は「何もシェアしてないからだよ」と、瞬速で答えました。26年付き合っていても、ミステリーが二人の間には存在していて、そのせいで、飽きないんだと思います。同じ固有名詞を好きだと、女という生き物は相手をライバルと認識して、闘ってしまいますから。私の方が、それ好きなのよ〜!ということをアピールしたい、勝ちたい、となってしまって、難しいんです。

ああ、同じところは、ベタベタした関係が嫌い、社交にズボラなところですかね。2人共、返事が遅いですね。メールや色々の。なので、会わない時は何ヶ月も会いません。毎月第三土曜は絶対集まろ☆みたいな、約束事もないですね。風に吹かれ、川で流れるままに、その時その時のタイミングと気分だけが頼りです。

恵まれてると思います、私は。こういう友人を若いうちに見つけてしまったため、そのあと、ガツガツと友達を探す必要がなかったので。学校生活は、女友達がいないと不便なので、たくさん友達いましたけど、そのほとんどに心なんて開いたことなかったですし、友達なんて思ってたかな…

私は、今まで生きて来て、信条的なものがあれば、人に威張らない、意地悪をしない、怒らせない、ケンカをしない。そんなところです。なので、相手に合わせて、いかようにも自分の態度も意見も替えられます。そんな特技、全然自慢できないのですが、腰はいつも低いです。相手を傷つけてでも、自分のスタイルやルールを守ろうなんて、露とも思いません。なぜって、私自身が傷つきやすい人間なのと、エゴイストなので、人を傷つけると自分が傷ついて、気持ち悪いのです。後味が悪いというか。偽善者なので、自分は良い人だって思いたいんです。せめて、表向きは。

「怒ったことある?」と、聞かれたこと、何回かあります。本来、江戸っ子魂で、短気な私が、そんなことを言われるくらい、私の演技力は完璧です。

心は氷みたいに冷たいです。ナルシストなので、自分にしか興味なく、他人のことなんて正直どうでもいいんです。だから、他人がハッピーだろうが、アンハッピーだろうが、どっちでもいいんです。ただ、私はその自分の残酷さを自覚しているので、絶対それを人に見せないように、努力は死ぬ気でします。

なので、いっつもいっつもへとへとで、寝てばかりの青春時代を送りました。

大人になっても、長年の習慣は変わらず、さすがにそんな自分に辟易して、ありのままでいようとしても、ありのままでいる方が居心地が悪いので、結婚を機に、友達との付き合いは一切絶ちました。ダイアナ以外とは。そして、新規の友達の募集もやめてしまいました。アメリカ時代、私と友達になりたいという人たちがいても、私は閉じた貝のようでしたし、夫という、人生初めてのありのままの自分でいても居心地の悪くない、親友を獲得したので不便はなかったです。

9月25日には、青いケアベア、ぴーすけのためにケーキを買いに行ったり、くまたちを私が「養子」と呼ぶと、「いや、実子だ」と絶対訂正してくる夫と、くまの帽子をポートランド旅行中になくしてしまい泣いて、数日後、車のどっかの隙間からそれを発見して泣く私は、浮世離れしてましたけど、二人だけのキングダムを築いて、楽しく、幸せでした。

そのキングダムは、あずみちゃんのウインク一つで簡単に崩れ落ちて、私はそこを去る事になり、今は、友達もっといないとだめなのかななんて、弱気になっています。でも、しばらくアメリカにいたせいで、浦島太郎状態になり、不思議な人ぶりに拍車がかかってしまって、日本人の暗黙のルールみたいなものが、Twitterの中ですらわからなく、察する事ができない人と言われてしまう私なので、うーん…

無理…?

 

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