あ、特に読まなくてオッケ♥︎

明日は祝日、両親の37回目の結婚記念日です。そういえば。サプライズでケーキ買おうかしら。

父はピーターパン。母はピーターパン子です。

「教育」「しつけ」なるものは、一切ない、自由奔放、放っとかれまくりの子供時代を送りました。母親は、私の妹のことは自分の付属物として、大好きだけれども、独立した人格、性格を持った人間だと悟るのは難しいようです。親子にもプライバシーがあるのも意味不明みたいです。

中2の時、日記を読まれ、私は激怒しましたが、母は逆切れして、私はあんたの親じゃない?なんで見ちゃだめなの?あんたも親になれば気持ちわかるわよ!とのことで、謝罪はいっさいありませんでした。

三者面談の帰り、下駄箱のところに、当時ホのじだった若月くんがいました。そして、母はあろうことに、彼に、ゆみちゃんよろしくネ〜♥︎と言ったのです。信じられない…

すべての言い訳が「私働いてるから。専業主婦だったら私もやれてるよ?」でした。しかし、突然雨が降って、学校まで傘を持ってきてくれるのは、出前バイクに乗った父でしたし、調理実習の時に、私はお肉を持って来る役だったのに、家に置いて来てしまい、教頭先生の電話を借りて、持ってきて〜と頼んで、来てくれたのは、やはり出前バイクに乗った清和でした。

2人共、ピーターパンですけど、父の方がエゴイストじゃないです。子供のために自分が我慢したりしてくれていたと思います。

その点、母は自分のことしか考えていない大物です。

そんな母から、少しですけど、人生のアドバイスをもらったことがあります。

1、お友達の悪口は絶対人に言っちゃだめ。絶対、その子、チクって本人にばれるから!(道徳的観念からだめなわけではない)

2、ストッキングとタイツは、Jにしな。(Jとは、ふくよかな人用のサイズです。Lは丈が長いだけで、Jだとお腹まわりがゆったりなので、締め付けられないからいいとのことです)

3、松嶋菜々子みたいな服装にしな(絶対いやと怒りました)

4、おにぎりは絶対セブンにしな

5、友達と会った次の日は寝たきりになるんだから、友達と会うのやめなさいよ!

6、いずみさんなんて、振り回される価値すらない子だよ。それより自分の将来を考えて

…ええと、そのくらいですかね…No.2は素晴らしいアドバイスです。Jだと確かにゆったりで楽ちんです。

両親に宿題を見てもらったことがありません。頭のいい大学を出たおばさんがその役を引き受けてくれました。私が本好きになったのも彼女のおかげです。

個人面談、三者面談、母はいつも「特にありません」としか言いませんでした。そりゃそうです、私が誰かもうすでに知らなかったので、特になかったんだと思います。

門限もなかったです。何を食べちゃいけないとか、これを食べろとかもなかったため、好き嫌いが多く、給食を完食したことは、小学6年間で一度もありませんでした。中学生になり、食べ物を残すのは恥ずかしいことなんだと自分で学び、それからは給食係に、少なめでお願い、と言うようにして、全部食べられるようになりました。

私の小食さはクラスで有名で、ミャンマー人のミンスエくんは、ゆみさんの食べる量はうちの国では猫の量だよと言われたり、クリームシチューは好きだったので、普通盛りでと言ったら、木下さんが興奮して、器、いっぱいによそってくれたりしました。

高校の頃、歌舞伎町にまだあったリキッドルームでライブなど行った帰り、遅くなって家に着くと、父は起きて、私の帰りを待っていました。心配で眠れなかったらしいです。一方、母はとっくに寝てました。

しかし、ずっと隠していた、大学登校拒否がバレた時、母は泣きました。私が泣かせました。どうして?なにがあったの?と聞かれましたが、自分もわからなかったため、何も答えられませんでした。

1、親友を傷つけ号泣させた。

2、ホの字のボーイには彼女が何人かいた上に、超上玉が本命で、私の友達はみんな知っていたのに、私には教えてくれなかった。そして、その後、その二人にどんな顔で会ったらいいのか思いつかなかった。

3、ストーカーチックに、私を大好きと、私の何も知らないくせに言って来る女の子の、毎晩の電話、デートやお泊まりの誘いに、自分を乗っ取られたみたいに感じて逃げたかった。

4、大学が遠過ぎて、過敏性大腸炎になっていた自分には通う体力がなくなっていた。

5、岡田山田にいじめられていたほかにも、やけに、私にきつく当たる人が多く、つらかった。すごい大物がいました。初対面の友達の友達が、握手を求めてきたので手を差し出したら、はたかれました。そして、その人は、「目がセクシーでむかつく」と私に言いました。目がセクシー?おう!そんなこと言われたのはじめてだぜ!と喜ぶのもつかのま、「むかつく」って何?何もしてないのになんで…と、さらに傷ついたのは、私の友達がそのシーンを見ながら、あの子おもしろいんだよね、いい子なんだよねと言っていた。

ああ、そして、岡田山田には、うみちゃんとかいう、私の世代ではキラキラしてる名前の腰巾着みたいな家来がいました。その三人と新百合ケ丘のホームでぱったり会った時、うみちゃんは、ひじで岡田をつついたのです。私がいることを岡田に教えるためです。そして、彼らは私にガンを飛ばし、馬鹿にするように笑っていました。

と、私が、岡田山田にいじめられてるのを知っている、特に仲良かった二人が、うみちゃんは本当にいい子だよね〜と、私がたった今、うみちゃんがひじでつっついたことを報告したあとに言い合ってて、この人たち、人の気持ちわかってる?あの行為のどこから、いい子だって、私は判断すればいいんでしょう。

友達の無神経さ、愚鈍さに私は絶望しました。これが、サブカル女の宿命なんでしょうかね。性格が悪いのを、毒舌ということにして、悦に入ってる女たち。

6、高校で好きだった先生が向ケ丘遊園に住んでいたので、毎日、その駅を通過するのが地獄だった。

今、整理すると、そんなところが理由かなと思います。ていうか、鬱病になってたんだと思います。精神科に行くべきだった。でも、当時私は内科も皮膚科も行かれないような、ウブな女子だったので、精神科なんて行けるわけありませんでした。頼りになるはずの家族も、精神の不調は、気も持ち用と思っている人たちなので、言葉がまったく通じる気はせず、小学生の頃から、何を考えてるかは、絶対親に言わない主義になっていたので、悩み相談を誰にもできませんでした。

あと、みんながおしゃれで、かっこよく、きらきらしていて、レコード抱えて、エルベのバッグにセントジェームスのシャツ、そして、われらがXガールを着ていました。私は、いつも焦っていました。どこの誰ともつながっている気がしない、どこのグループにも所属している感じがしない。憧れてたのは、こんなキャンパスライフじゃなかった。駒大に進んでいれば、3年間苦学を共にした仲間はたくさんいました。誰もサブカルくそ女じゃない優しいみんなです。私は、孤独でした。

仲間とか無理なタイプなのに、本当は仲間欲しかったんでしょう。でも仲間はずれな気持ちで、いつも暗い気持ちで小田急線に乗り、登戸で南武線に乗り換え、溝の口田園都市線に乗り換え、二子玉川大井町線に乗り換えて、空虚な心を抱えて、帰宅していました。サークルに入ってないので、放課後がないわけです。電車では、フィッシュマンズをずっと聴いていて、とにかく孤独でした。

一度しかない青春を無駄に過ごしてしまったのは、一生の後悔として残るのかな。悲しいですね。

 

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