綿 in a stuffed brooch

おちょぼ口 

昭和50年代の漫画の新作は永遠に出ない

つらい1日じゃった。終わっていくのがうれしい。しかし、まだ熱があるような気がする。いつ下がるんだろう。

どんどん世界から遠くなっていく気がする。先輩もどんどん大きくなっていき、ああ、身近なある人は、もう3日で引っ越してしまう。

なのに、私は、この体たらくで、最後のお出かけも、お家訪問もできないまま、見送らなくちゃいけない。彼女が生まれた時、こんなことになるなんて思ったかな。いや、彼女が結婚するような時は、100年くらい先のことだと思ってたから、思わなかった、何も。自分が大人になってる姿も想像できなかったし。

どこまで、これから挽回できるんだろう。どのくらいの時間がかかるんだろう。とりあえず、熱はいつ引くのだろう。わからない。全部わからない。

子供が1人もいないのに、水子が6人もいることとか、やっぱり全然わからない。たぶん一生わからないと思う。これの意味が。「生」で遊んだ結果が、この報いなのだろうか。水子の祟りが6人分だから、こんなに身体が重いのかもしれない。

神様なんて信じてないけど、神様的ななにかが、私にこの十字架を負わせた意味はなんだろう。この経験から、ポジティブななにかを手にしたとは思えない。同じ経験した人の気持ちをわかってあげられるくらいしか、特に役に立つなにかも手にしてない。

精神病を、気の持ち用、ほんとはそんな病気なんてないんじゃないの?って思ってるのは、私自身なのかもしれない。今日は熱い中、そんなことをずっと考えていた。鬱病って言われても、それと発熱との関連が意味不明だし、自立神経が〜ストレスが〜と言われても、それは目に見えないし、どこにあるのかもわからない。

病は気からって言うのに、私の気には根性が入ってないから、病になるのだろうか。

病って言ったって、本当の病気で苦しんでる人には、失礼なくらいののんきな貴族病だという気がしてやまない。私、恵まれてるのに。

昨日の夢では、おばさんが、電話帳の分厚さのフロムエー的な雑誌を私に持ってきて、私が、それでおばさんに殴り掛かるというものだった…泣き叫んで、いつわかってくれるの?私が病気だってのは、私が決めたことじゃなくて、お医者さんの診断なんだよ!働けるもんなら、私だって働きたいよ、と言っていた。

…おばさんは、私に、ゆみちゃん子供好きだし、このバイトいいんじゃない?と、学童みたいな所で、放課後、校庭などで遊ぶ小学生を見守る役のチラシをくれたくらいの強者で、一番手強い。今の私が、校庭で、たくさんのキッズと遊べるかな…

子供…小学生以上は苦手だし…それどころか、幼稚園入ったらもうオーノーと思ってるくらいのレベルだし…

明日は、温度が下がるらしい。ありがてえ。なんとか、今日よりいい日になりますように。熱も下がって、久々においしいコーヒーでも飲みに行きたいな。

ベルバラ的な漫画が読みたいけど、あれはもう二度読んだし。うーん、エースをねらえかな。高校生なのに、お蝶夫人で、暖炉に当たって、ティー飲んでるシーンとか、大爆笑で最高だけど、あれも結末ばっちり覚えてるし。

ああ!一条ゆかり先生の有閑倶楽部いっとくか。あれは久しく読んでない。

今世紀の漫画を読まないっていう、ものすごい厳しい縛りがあるので、大変すぎるんです。

そんなつもりはなかったのに、昭和50年代に出た、りぼんの各先生の傑作集1を集める人みたいになってて、この際、この道を邁進したい。でも…それにしても…絵柄もストーリーも設定も、どれもそっくり…池野恋先生は、最初から悪魔と天使が出て来て、ちょっと違いましたけど。

隣に住んでる、幼なじみボーイと恋仲になる確率なんて、8割くらいじゃないかな…

飽きてないことはないけど、やっぱりあの時代にものすごく惹かれてしまう。自分が生まれた頃のファンシーネスの素晴らしさは、今ではもう再現できないし。

ただ、今は昭和90年代なので、もう50年代の新作は永遠に出なくて、それが悲しすぎる…