私はもう若くないですけど、自分をおばさんと呼ぶのは嫌いです。なぜなら、自分より、年上の女性たちに失礼すぎるからです。世の中の女子、ほとんどがおばさんですよ。どんな、ベビー、キッズ、ティーン、みーんな、最終的にはおばさん、いや、おばあさんになるんです。この惑星、地球の上では。

なので、男子が、性的対象外の意味として使う、おばさんとして以外、女が女におばさんって使うのや、自分を自虐的におばさんと呼ぶのはNoです。前に、31歳の女子が、自分を中年と呼んでいて、私はその時、今よりもっと若かったですけど、ものすごく不快な気持ちになりました。

あと、30代のもじょっ子の方が、自分は恋愛しない人、と称していたのも、胸が痛く、おおう、おう、おおおおおおおおおうと、叫んでしまいました。だって、気持ちがわかるからです。私は一応、既婚でしたけど、いや、今も既婚ですけど、自分を恋愛「できない」人と思うと、死にたくなって、生きていけなくなるのは容易に想像がつきます。だから、傷つけられるより前に、そう言って、防備線を張ってるわけですよね。もちろん、そう言う度に、自分が自分を傷つけてるだろうと思うので、どっちにしても、心はズタズタだと思います。

うう、ううううううう、その人に幸あれ…!

と、なんの話を…

ああ、そうです、そうです。私は、昭和54年生まれで、本当によかったなと思っているということを言いたかったのでした。西暦だと、1979年です。9月生まれなので、3ヶ月半は、70年代を生きることもできました。この世に生を受けた日の夜のラジオにはYMOが出ており、新聞には大好きな浅丘ルリ子のインタビューが載っていました。そして、その一週間後、初めて、外の世界に触れた頃、ソリッドステイトサバイバーが発売されています。

素敵な時代に産まれたのう。商店街の有線からは彼らの曲が流れて、乳母車に乗りながら、聴いてたんだろうなあと思うと、ラッキーでうれしいです。マイ名前も、特に好きでも嫌いでもありませんが、ローマ字にすると、Y u M i k O になりますから、やっぱり恵まれています。

そして、子供の頃に、バブルの時代を体験し、楽しかったです。横浜そごうのオープンした日、確か行った気がするんですけど、あのエスカレーターが、横にわーっと並んでいて、一つも幅が広く、2人並んで乗れるサイズなのにも感動しました。

原宿のすごさは言葉にできません。記憶からも消せません。今だって、竹下通りはすごく芋荒いですけど、あのタレントショップ全盛期のわくわく感は、圧倒的でした。

まず、ジェニーハウスという、リカちゃんよりお姉さんのお人形専門店があり、そこはまるで、ミニチュアのお洋服のブティックでした。ミンクの毛皮なんて、5万とかで売ってました。当時は、赤毛のアンなど、カントリー調のスタイルが流行っていて、ジェニーちゃんのお洋服もそういう感じでした。そして、お友達に、エリーという、こんがり日焼けした肌色の、ソバージュの、まるでゴクミみたいな子がいて、その子は、ワオ、ボディコン着てました。

マリオンクレープの角を右に曲がると、アリスの館がありました。そこは会員制のお店なのですが、入口のイケメンの門番とじゃんけんして勝てば、入れてもらえるという、驚きのシステムでした。

まず入ると、螺旋階段を上ります。一番目の部屋は、天井が鏡張りの、香水とお化粧のお部屋。フリフリの服を着た店員さんが、歌うように、私たちにお話してくれます。くるみくらいの大きさの、磨りガラスの星形の瓶に入ったコロンを買ってもらいました。チェーンがついていて、ネックレスになった気がします。(か、キーホルダー)

その部屋を出て、外の廊下を歩いて、二番目の部屋は、カードなどが置いてある部屋。次は、天井に紐が張ってあって、靴下がそこからぶらさがってる部屋。次は、やはり、ネックレスがそんな感じにぶら下がってる部屋。金のチェーンに、直径3ミリくらいの指輪(偽のサファイアなど、各種誕生石が、立て爪でくっついている。おそろいのイヤリングもある)がトップになったネックレをを買ってもらいました。ああ、夢の国や…

そして、次はなんと、床が一面砂の部屋。そこでは、香りと色付きの砂を量り売りしていて、試験管にコルクのふたをして、売ってくれます。私は黄色いパイナップルを選びました。ああ。。うっとり。。

そして、最後は、お菓子の部屋です。チョコとかキャンディーとか。そして、外に出ると、また外の廊下で、ぐるっと一周して来たことになります。

吹き抜けになっており、一階には、なぜか浅香唯プロデュースのお洋服のお店があり、地下には、なんだっけ、お菓子買ったり、お手洗い行った記憶あります。そして、私が高校生の頃は、そのフロアはライブハウスになってました。

そこは、私が中一までは、絶対にありました。建物も、しばらくはありました。でも、去年、見に行ったら、建物も違うものになっていました。

ああ、記憶の中でしか行かれないお店。今でも、あそこに行った事ある家族や友だちと、話題になります。あんなに夢みたいな空間、なかなかないからです。あれは、バブルの見せたうたかたの夢なんでしょうね。たっぷりお金がかかって、趣向も凝っていて。

フォーレだって、隣にキッズラフォーレが、ケーキの形でありましたよね。今は、毛袋にしかない星のテラス、竹下通り店がなくなったあとも、私が高3までは、そこの中にありました。いつも閑古鳥が鳴いていました。お洋服売り場もです。と、しばらくすると、キッズラフォーレはなくなりました。

今、タワーレコード渋谷の、同じようなコンセプトの子供専門デパート、パオがなくなったのよりは、長くがんばっていたと思います。

と、何の話を…

ああ、長くなったのでやめますが、90年代が、まるまる10代とかぶっていた私は、本当に幸せ者だったなということです。

小沢くんのフジロックの記事を読み、なんとなくそう思いました。