アップルの午前(尾崎翠の『アップルパイの午後』に捧げます)

好きな男の子の、好きな女の子は、好きな男の子を、同じように好きだった。2人はいわゆる両思いで、人々は2人を恋人同士と呼んだ。たった2人だけの小さなサークル。どっちが部長かは知らない。

ただ、なぜか2人は、公には、それを内緒にしているのか、わざとらしく「名字」で呼び合ったりしていた。おそらく、私以外の皆は、その事実をとっくに知っていたのに、誰もそれを私に告げる人もなく(おそらく哀れみの気持ちから)、私は、好きな男の子と好きな女の子は、特別に仲の良い友達同士だと、心の底から信じていた。

風が吹き荒れる大雨の日も、東南アジアを思わせる湿度の日も、好きな男の子の好きな女の子の細い髪の毛は、いつもサラサラで、まっすぐだった。肩までの茶色い髪の毛は、艶やかに揺れ、もっと伸ばして、ティモテのコマーシャルに出ればいいのにと、私は思っていた。

一方、私の髪の毛は、太くて微妙にうねり、ピーカン晴れの日も、東南アジアを思わせない湿度の日も、頭のてっぺんから、波平のように短い毛が幾本か立っていた。背の高い友達が「陰毛みたい」と言い、一緒にいたもう一人の友達が「それは言い過ぎだ」と、怒った。

私は、言い得て妙だなと感心しただけだった。

生まれつき、好きな男の子の好きな女の子の髪の毛は天使の輪っかがオプションとしてついていて、私のそれは波平の陰毛がオプションとしてついていた。ただそれだけのことだった。色々な整髪剤を使っても、髪質なんてどうにもならなかった。もうとっくにあきらめていた。それが、私だった。

そして、私は、好きな男の子の好きじゃない女の子だった。

ある午前中、授業が休講になり、図書館の地下三階に降りて行った。一冊が分厚く重い、シュールレアリズム文学全集を読みたかったのだ。ダダイズムに凝っていた。これこそが、私の思うワケワカメ芸術だと、虜になっていた。

吉行エイスケ堀口大學の書く詩。不思議な言葉のつぎはぎ。

そして、尾崎翠のアップルパイの午後。

一番奥の棚まで歩いていると、間仕切りで仕切られた1番奥の窓際の席に、好きな男の子と好きな女の子がいた。椅子は三つあるのに、二人は一つに二人で座り、キスをしていた。

窓の外には、新緑の緑が鮮やかで、ガリガリくんみたいな薄い水色の空が広がっていた。

読売カルチャースクールの水彩画教室に、通って三年目の中本さんが描いた絵みたいにきれいだなと思った。

また、箱根彫刻の森美術館にある、複雑な、何人か(椅子を人間としてカウントしたら、この場合、三人だろうか)が組合わさった彫刻みたいにも見えた。

両思いとは、恋とは、恋人とは、これのことを言うんだ…片思いの私には遠い遠い世界だった。一瞬、恍惚としためまいを感じ、その後、とても強い自己嫌悪と自己憐憫が湧いて来て、涙が出てきた。

だって、2人は友達同士なんかじゃなく、恋人同士なのが、馬鹿な私でも、目がある限り、わからざるを得なかった。例え、知りたくなかったとしても。

そして、好きな女の子の着ていたセントジェームスのシマシマのシャツは彼女に似合いすぎていて、私はセントジェームスを着るのは一生やめようと誓った。

本を小脇に、音を立てずに、棚の間を走り抜け、階段を一気に駆け上がった。慌てて一階のカウンターで貸出手続きをして、表に出ると、お昼の時間になっており、午前中は終わっていた。

玄関脇に、昔、この図書館を作るために、たくさんのお金を寄付をした人の銅像があった。背広を着たおじさんの上半身が立派な台座に乗っている。箱根彫刻の森美術館に置くには、シュールさが足りなく、芸術性に欠けてるから、無理だろう。

私は、アップルパイの午後なんていらないから、アダムとイブが食べた、禁断のりんごを食べてみたいと思った。

私の好きな男の子と彼の好きな女の子が、たった今、一つを右と左から、よだれをたらしてかぶりついていたような、赤いりんご。

 

妹 変態趣味。何なのよ、それは。

兄 自分の趣味を考えてみろ。趣味だけならまだしも、お前のことときたら何もかもに変態という字を冠せて丁度なんだ。変態感情。変態感覚。変態性………

尾崎翠/アップルパイの午後、昭和4年8月)