部屋の中の星(竹久夢二の日記にある言葉に思いを馳せて)

「私が18だからいけないの?」

なんて、三文少女漫画にも出てこない台詞を、18歳の時に、切羽詰まった修羅場で叫んだ経験を持つのは、もう18歳ではない私からすれば、まぶしく、とうとく、うつくしい思い出だ。

彼はうなづき「欲しいものがすべて手に入るわけじゃないんだ」と言った。

彼はまだ30歳だったが、当時の私には完璧な大人の男に見えた。職業も高校教師だし、ほころびのない、洗練された男。リアル稲中メンバーみたいな、幼稚なクラスメイトの男子たちとは、全然違う生き物に見えた。

彼は、6歳年上の公立の中学教師と結婚しており、向ケ丘遊園に家を買ったばかりだった。当時、36歳の芸能人には、黒木瞳川島なお美がいて、テレビで2人を見る度、私の心は凍り付き、私の目からはお湯が出た。

私の倍、生きてる女。教師なんていう、清く、正しく、美しく、を前提に生きていかなくては務まらない職業を生業にしている女。子供の私にはおそろしい存在だった。

外部受験を決めてから、放課後に英語の課外授業をしてもらっていた。指定された参考書、上下巻を買い、上巻にはカヒミカリィのフライヤーを、下巻にはマリマリ嶺川貴子の広告のページを雑誌からやぶったものを、それぞれ張り付け、カバーにしていた。

春が過ぎ、夏が過ぎ、だんだんと秋が近づいてきた頃、私は、彼の瞳の中になにか小さな星のかけらみたいなものが、キラリと光り始めてきたことに気がついた。髪の毛を触られたり、腕を掴まれたりするようにもなった。

私は、英文を訳するのに忙しく、あまり気がつかなかったけれど、何かが彼の中で動いていたのだろう。何か。流動体で、名前のつけられない何か。それは、彼自身にもわからず、おそらく頭が混乱していたはずだ。

課外授業は、いつも、職員室の先生の机で行われていた。私はずっと横に立って、先生は座ってたばこを吸っていた。

しかし、いつからか、お悩み相談室的な特別な教室に呼ばれるようになった。入ると、奥が見えないように衝立てが立っていて、中には、丸いダイニングテーブルと椅子があり、さらにその奥には、蛇腹のカーテンで仕切られた二畳くらいのスペースがあった。そして、そこには、小さいソファーセットが置いてあった。

一度目は、テーブルで木の椅子に座った。

二度目は、ふかふかのソファーに座った。

放課後の、開け放された窓からは、咲き乱れる金木犀の橙色がちらちらときれいに見え、ものすごく甘い芳香を教室の中にまで、充満させていた。日暮れで、空の色がどんどん変わっていく。薄かった青が、どんどん濃くなり、真っ赤や、濃いピンクも溶け合って、ポストカードの景色みたいになっていた。

世田谷の空は美しい。

先生と私の間には、参考書が置かれていたけれど、私はすでに気付いてしまっていた。彼の瞳の中の星のカケラが、どうくっつけたのか、星の形になっていること。そして、それは、瞳孔より大きく、もう少しで、目から飛び出そうになっていることに。

恥ずかしいような、こわいような気持ちで、私は彼と目を合わす事ができず、ソファーから立ち上がり、網戸に顔をつけて、金木犀をじっと見た。頭がおかしくなりそうな甘い匂いが身体中の穴という穴から、体内に入ってくるかのようだった。そして、ふりかえらずとも、彼が私のすぐ横に座っているのが、気配でわかった。ああ、彼もこの匂いのせいで、気がおかしくなってるのかもしれない。

と、突然、パリンという音がした。

勇気を持って振り返ると、そこには、大きな大きな星があった。金色にピカピカと発光していて、目を疑った。ああ、やっぱりとも思った。星が育ち、彼自身が星になってしまったのだろう。

私はまぶしくて、目をつぶらずにはいられなかったけれど、気がつくと、ソファの上で、強く抱きしめられていた。薄く目を開けて、彼の顔を見ると、金色に輝く、見た事のない、知らない顔の男がいた。教師のお面はとっくに割れて、どこかへ、宇宙だろうか、へ、吹っ飛んでいったのかもしれない。

腕が緩む度に、彼は私を抱きしめ直し、その度に私の頭は壁にぶつかった。何度も何度もぶつかった。蛇のように、きつく彼の腕が私の背中に巻き付き、私は息ができなく、男を初めて生で感じた。汗ばむ肌と、心臓の音。

星になった男は、私の目から、けっして目をそらさなかった。おそらく、私の瞳の中の星を見ていたのだろう。そして、その目は「お前の正体も星であることを言え、私も星なの。と言え」と言っているかのようだった。

おでことおでこがアロンアルファでくっついたような形のまま、私は堪忍して、彼の耳に「ずっと先生のことが好きでどうしたらいいかわからないの」と言った。すると、星はふっと笑って「やっと言えたね」と答えた。空気がゆるんで、流れ星がゆっくりと落ち、見とれていたら、さっきよりも、さらに強い力で抱きしめられて、私の半身は、ソファから半分ずり落ち、変な形になっていた。

窓の外はすでに真っ暗闇で、でも、教室の中は、光ったままで、私は、私たち、人間は、本当は星で、地球は、宇宙の一部なことを、知った。知性や理性で、普段は隠しているけれど、本当は私たちこんなにピカピカと光ることができ、形を持たず、溶けることができるんだ。

知らなかったけれど、私はそれを18歳のときに知った。

その後は、もちろん、上手く行かず、修羅場続きで、大変な日々を卒業まで送り、私の体重は浅丘ルリ子と同じくらいまでに減ってしまった。

でも、あの夕方に、私たちが、教師と生徒、既婚と未婚、成人と未成年の垣根を飛び越して、共に星になったことは事実で、人はそれを、一般的に恋と呼ぶということを、私は、その時に学んだ。

 

JULY.13 夜

先生に思はれる人も、先生をおもふ人も不幸ね。(竹久夢二/雑草 昭和16年)