ポロシャツのワッペンに自分を賭ける男たちに勝った時(伊丹十三の言葉を添えます)

その人は、その日の天気のように、あっけらかんと、そのポロシャツを着ていた。彼の黒いポロシャツの左胸のポケットには、心臓のゆるキャラみたいな、赤いハートに目が付いたワッペンが縫い付けられていた。そう、コムデギャルソンのポロシャツだ。

静枝は、それまでこんなにあからさまでいやらしいポロシャツを誰が着るんだろうと不思議に思っていた。青山で生きる覚悟をした、意識の高いカタカナ職業の人たち、かっこよく見えるけど、実はすっごください人たち、かな?なんて。

男たちは、ポロシャツに付いている、小さな小さなワッペンに自分を賭けることができる。自分がどこに所属している人間なのか、ワッペンに頼ることができる。声高に自分が誰かと叫ぶことを野暮と考えている男たちには、それはとてもありがたいことで、ユニクロや無印のポロシャツより、ワッペン付きはとても高いけれども、その値段を超えていくことも、ステータスの一つなのだった。

静枝の父は、若い頃から、ワニのマークのラコステのポロシャツを大事に着ており、ゴルフに行く時はもちろん、友達と連れ立って、近所のスナックに行く時など、勝負服として、そのポロシャツを身に纏う。

そのブランドは、以前「渡る世間は鬼ばかり」という、ヤングでオシャレな人間たちから、500マイルは離れたテレビドラマの中で、丸坊主にクリクリした目の永遠の少年のような青年が、そこのポロシャツをタックのあるズボンにインして、毎回着ていたため、しばらく敬遠されていた。そのせいで、今でも抵抗を持っている男たちは多いと聞く。

静枝は今まで、当たり前のように、”フレッドペリーの男”一択で生きてきた。前のボーイフレンドの誕生日プレゼントに上げたのは、細かい水色のギンガムチェックの、ボタンダウンの半袖シャツで、当たり前のように、左胸の上に、あの月桂樹のマークがくっついていた。

それが、目の前にいる、その人は、ニコニコと笑いながら、心臓のゆるキャラを胸に弾ませていた。静枝は、この人はなんて素直な青年なんだろう。心のねじれがないんだ。すごい。すごいよ!と、顔面を平手打ちされたようなショックに痺れながらも興奮していた。

本人いわく、お気に入りで何度も着過ぎたあまり、色落ちしてしまい、もう一枚欲しいけれど、最近は中国人観光客が大量に買って行ってしまうので、買い直すのが困難だということだった。

(…もう一枚欲しいんだ!!!!!)

静枝の心に閃光が走った。なんて純粋な青年なんだろう。心にかげりがないんだ。すごい。すごいよ!と、足の小指を箪笥の角にぶつけたようなショックに跳び上がりながらも感動していた。

そして、それから、静枝がその男に恋心を抱くようになるのに、たいした時間はかからなかった。

それは、静枝が、男たちのすべてのポロシャツのワッペンに勝ったことを意味する。これからは、もう男の好きずきを、ワッペンになんか頼らない。この際、イトーヨーカドーで売っている、ラコステの模倣ブランド、クロコダイルのポロシャツでもいい。

 

つまり、男のお洒落というのは、本筋、でなくてはならぬ。スタンダードでなくてはならぬ。場違いであってはならぬ、のです。(ヨーロッパ退屈日記/伊丹十三